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華氏451度【映画・読書感想】

華氏451度〔新訳版〕 (ハヤカワ文庫SF)

ディストピア小説が好きでコツコツ読んでいるのですが、一番読むのが大変だったかも。

調べたらやや詩的というか、難解な表現が多いことでも有名な先生なんでしょうか。

結構場面の移り変わりが滑らかで途中でついていけず、始終アセアセしていた…(汗)

 

本を所有することが禁じられた世界で、「本を焚く」ファイヤマンという職業についている主人公はある少女との出会いからそんな世の中へ疑問を抱き始める。

そしてついにファイヤマンでありながら、本に興味を抱くようになり…みたいな話。

 

ディストピア小説ではしばしばメディアから一方的に情報を注ぎ込まれて人々は思考停止している、みたいなことがありますよね。

 

この本でいうメディアは「テレビ室」というところで、四方の壁に取り付けられたテレビでずーっとテレビ通話している。

主人公の奥様はそれがすべてで、主人公がいくら訴えても理解を示してくれないし、そもそも主人公との直接の会話に興味持ってない感じなんです。

本に興味を持ち始めた主人公がいら立ちをつのらせて身の回りの些細なことや、コントロールされた情報を頭から信じて会話している奥さんとその友人たちにイラついたからといって詩を読みだして会話をぶち壊しにしていた。

 

それから、ファイヤマンとして仕事をしているのに本をこっそり集めていることが上司にバレたとき。

上司は暗に本に興味を持っていることや、集めていることをすでに知っていて暗にもうやめるように言いにくるんです。

上司は主人公を圧倒的に上回る文学的な知識で主人公を滅多打ちにしてくる。

 

なんとなく、本に触れた主人公の上ずった気持ちや、なぜか自分が物知りになった気がして他人に口出ししてしまったことや、自分の得意なことでぼろ負けする決まりの悪さがなんとなく迫ってきて、ぐっ…(汗)ってなりました。

共感性羞恥ってやつ?かな…

 

最後、同じような思想を持つ仲間たちと巡り会ってともに行こうと決めたとき、そのリーダーみたいな人が「忘れてはならぬ重要なことは、わしたちだが衆にすぐれた存在だというわけではない点だ。けっして衒学者になってはならん。」…ってとこがあって。

 

本を読むことの素晴らしさや思考停止を指摘してはいるけど、そのことで人を見下したりしないようにという自戒めいた瞬間があって、そういうことを忘れないようにしよう…と思いました。

 

華氏451 (字幕版)

そんなわけで映画も見た!

昔の映画の近未来的な演出って何とも言えず良いです。

また海外の古びた集合住宅の雰囲気もたまらないです!

 

やはり小説の内容を網羅とはいかないですよね。結構ダイジェスト。

ラストの本が禁止された世界で自らが本になるベく本の暗記に励む人々のシーンは幻想的です。

逃亡劇がなくなると印象変わりますけど、 これはこれでいいかもと思いました。

 

いやはや、それにしてもこのあからさまに見ている人間に語り掛けるテレビ。

思考停止の象徴みたいですけど、これでさみしくないならいいなあ。

 

でも映画版のテレビ室で劇のプログラムのシーン(登場人物がこちらを見て合図したら、数秒の間に視聴者がその場に合ったセリフをいう、みたいなやつ)で主人公の奥さんが言いよどむのを無視して劇が続くのをみて、ああヤダなと思いました。

次のセリフのタイミングで、何も考えず短い同意のセリフを言ったのを登場人物がほめてくるというのも気持ち悪い。

キョロ充なので、こういう会話の中で必死に正解の答えを探している姿が刺さってしまうのです。

上手く演じられたと嬉しそうな奥様に苦々しい態度をとる主人公の様子に胸が痛む(笑)

 

私はこういう世界で管理されて生きていきたいからディストピア小説がなんとなく好きなのかなあと思ってはいるのですが、何回考えてもなじめると思えない。

どう考えても、思考警察にしょっ引かれるし、ファイヤマンに押し入られて本ごと家を焼かれるタイプなんですよね…

トホホ…なぜなのか…